ぬいぐるみは、ただの“もの”じゃない
ぬいぐるみは、ともだちであり、家族のような存在。
安心できる場所の象徴であり、心の支えでもあります。
わたしにとってそうであるように、同じ気持ちを抱く人がたくさんいるようです。
心理学や文化、そして日々の体験の中にも、ぬいぐるみが特別な存在である理由がちゃんとあるのです。
“移行対象”としてのぬいぐるみ
乳幼児が肌身離さず持ち歩くことで安心感を得る、毛布やぬいぐるみなど。
それを心理学用語で“移行対象(いこうたいしょう)”と呼ぶそうです。
“移行対象”とは、イギリスの精神分析医ドナルド・ウィニコットが提唱した言葉で、
母親などの「絶対的な安心の存在」から、少しずつ自立していく過程で、心のつながりを保つために子どもが頼るもののこと。
お母さんや大好きな人と離れて過ごす不安をやわらげてくれる、心をつないでくれる存在です。
安心できるぬいぐるみがそばにいることで、
子どもはすこしずつ、ひとりの世界にも踏み出していけるのです。
ぬいぐるみが想像の世界“イマジナリーフレンド”とつながるとき
子どもは、ぬいぐるみに名前をつけたり、お話ししたりします。
「笑った」「考えた」と感じるのは、ぬいぐるみが心を持っているように思えるから。
やがてぬいぐるみは、子どもにとって「ともだち」のような存在になり、
その関係性は「イマジナリーフレンド(想像上の友だち)」と呼ばれることもあります。
ふれることができる、ぎゅっと抱きしめられる。
ぬいぐるみは、想像の世界と現実をつなぐ“かたち”なのかもしれません。
大人になっても、ぬいぐるみはそばにいる
心のともだちとして寄り添ってくれるぬいぐるみは、
子ども時代だけの存在ではありません。
ぬいぐるみを大切に思うのは、子どもだけじゃありません。
大人になっても、昔から一緒にいたぬいぐるみを手放せない人がたくさんいます。
わたしは、祖母からもらったねこのぬいぐるみを“宝物”として今も手元に置いています。
片目が取れてしまったねこ、鼻が取れて穴が空いているねこを、今もベッドに置き、触れることに幸せを感じます。
ぬいぐるみには、その人の思い出や歴史が染み込んでいるのです。
物に宿る、見えない“ひかり”
日本では、ぬいぐるみや人形には“魂”が宿ると考えられてきました。
ぬいぐるみを床に直には置かず、椅子やベッドの上にそっと座らせたり、
お話をしたり、ごはんを食べさせてあげたり、旅行に連れて行ったりするような人も多いのです。
それは、「ぬいぐるみはただのモノではない」という気持ちのあらわれ。
そうした行動の背景には、「ぬいぐるみはただのモノではない」という気持ちがあるように思います。
そこにあるのは、目には見えないけれど、たしかな“ひかり”。
わたしが「光るくに」という世界を思いついたのも、ぬいぐるみのなかにそっと宿っている“ひかり”に、目を向けてくれる人が増えたらいいなと思ったからです。
ぬいぐるみと過ごす、かけがえのない時間
ぬいぐるみには、「いますぐ何かを解決してくれる力」はありません。
でも、いつも変わらない表情で、そっとそばにいてくれる。
それだけで、「もう少しがんばってみようかな」と思えることがあります。
ぬいぐるみは、目に見える“もの”だけど、
その中にある想いは、目に見えないほど深くて、あたたかい。
それは、“ひかり”のような存在かもしれませんね。
おわりに
ぬいぐるみは、目に見える“もの”だけど、
そこに宿っている“ひかり”は、目に見えないほど深くてあたたかい。
誰かにとってのぬいぐるみが、
今日もそっとそばにいてくれますように。
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